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単身赴任してわかったこと

 

単身赴任になって一番身に染みたことがある。

 

それは、「終わりを自覚してしまう」ことである。

 

家族と一緒に暮らしていた時には気が付かなかった、いや、気づいていたかもしれないけど、気が付かないでいられたような気がする。

 

そう、あらゆることには終わりが来る。

 

娘が6歳の時に初めて単身赴任を言い渡された。

 

下の子はまだ1歳になったばかり。男の子だ。

 

それまではごく普通の4人家族で、ごく普通の生活を送っていた。

 

単身赴任先は車で約3時間。新幹線を使用しても乗り継ぎなどで3~4時間は

かかる場所である。

 

娘はもう小学生。習い事もプールやらピアノやらやっており、それぞれに友達もいる。

 

転校はさせたくない。夫婦そろっての意見だったので、単身赴任を選んだ。

 

 

 

 

上の子に単身赴任になることを告げた時、はっきりとまだわかってはいない様子だったが、「なんでそんなことになるの~?」とすなおな疑問をぶつけられたことを覚えている。

 

単身赴任先へ出発する日の朝、娘の口からはじめて「バイバイ」という言葉を聞いた。

 

そう、それまでは「いってらっしゃい」とう言葉が当たり前だったが、パパがある程度遠い所へ引っ越してしまう、毎週のように帰ってくるにしても、今までのように毎日の生活を送るのではない。

 

ということが娘の中でも理解できていたのだろう。

 

バイバイ」といって娘は私を送り出してくれた。

 

 

 

それはわたしにとって結構きつい一言だった。

 

バイバイ」そう、これで終わり。「さようなら」という言葉。

 

単身赴任してわかったこと。そう、あらゆることに終わりが来るのだということ。

 

 

 

単身赴任先からの帰省の交通費は毎月1回分しか支給されない。

 

単身赴任の手当てもあるが、2重生活というのは思いのほかお金がかかる。

 

でも、かわいい子の顔を見たに月に3回は帰ることを決めた。

 

ほぼ毎週帰っている。月に一週だけ赴任先での休みがあるが、他の週は帰っている。

 

会社勤めしているとわかるが、月に一回や半年に一回しか家に帰らない単身赴任者もいる。

 

しかもそれが結構普通で、毎週のように帰っている自分のほうが異端者のようなイメージを持たれてしまうことさえある。

 

 

家族と過ごして何が悪い。それが当たり前の生活だ。だけど、会社生活が長く、あるいみ会社こそが人生の人々にすれば、会社にいることこそ正義であり、家に帰るというのはやる気がないことを意味したるもするのだ。

 

だから毎週のように帰る自分は評価があまりよくなかったりしてしまう。

 

 

まあ、この辺は会社の体質によって大きく変わってくるとは思うが、古臭い体質の会社では単身赴任なんて当たり前の世界なのである。

 

 

 

 

ちょっと脱線してしまった。話を戻すと、私は大体2連休、3連休にして帰っているのだが、そこでもやはり実感してしまうのが「終わりが来る」ということ。

 

2日、3日間の楽しい家族との時間はやがて終わりが来る。

 

そして一人、赴任先への電車に揺られなけらばならない。

 

そう、楽しい時間には終わりが来るのだ。

 

 

 

ただ、そんなことを自覚してしまうようになってから、以前よりも家族と過ごす時間を大切にするようになった。

 

単身赴任する以前は特に何もする予定のない休日なんてのが存在したが、いまではありえない。

 

すぐに終わりが来てしまう休日、家族と過ごせる貴重な休日をいかに充実させて過ごせるか。そこに力を入れるようになった。

 

 

そう、家族と過ごす時間がとても大切で、貴重なものだと自覚できるようになった。

 

多分これは人生も同じ。

 

 

終わりが来ることを意識しないまま、だらだらと過ごすこともできる。

 

だが、終わりを自覚すると、その終わりまでの時間に何ができるのかを考えてしまう。

 

そして、よりよい時間を過ごせるよう、より良い思い出を作れるよう、計画を立てて実践するようになるのである。

 

 

よりよい人生をより楽しく、充実して過ごそうと努力するようになる。

 

そうそれは単身赴任をするようになって初めて気が付いたことなんだ。

 

娘や息子との楽しい時間は確実に終わりが来る。

 

 

今週の3連休の終わりもそうだし、成人して、彼氏ができて、家を出ていくときもそうだろう。

 

また、自分自身がこの世を去る時の終わりもしかりである。

 

 

正直言って、そんな終わりなんて自覚しないでのほほんと生きていたほうが幸せだったのかもしれないとも思う。

 

日々、終わりなんて意識せず、ただ、楽しく、生きていく。

 

 

でも、それはもしかしたら、本質的なことから身を隠して生きていく、ごまかして生きているようなものなのかもしれない。

 

 

そう、人生には死があるからこそ、そこまでの限られた時間で何をして過ごすべきか考える。

 

 

単身赴任先から帰ってきた時の限られた時間も同じ。

 

その限られた時間で何ができるのか・・・。

 

 

もちろん、子どもなんかそっちのけでパチンコに行くこともできる。

 

一日中寝ていることだってできるだろう。

 

 

会社が大切なら上司とゴルフに行くことだってできる。

 

でも僕は子供と、家族と過ごすことに決めた。

 

それは死を前にして、何が大切なのか考えた時と同じで、自分の家族を一番大切にしたいという思いからだと思う。

 

 

そこに報いなんか必要とはしない。

 

その時間。子供たちと、奥さんと、家族と過ごす時間こそがかけがえもなく楽しく、幸せを感じるのだ。

 

 

人を必要とし、人に必要とされている喜びなのかもしれない。

 

会社に喜びを見出している人だって、多分誰かから必要とされていることに喜びを見出しているのだろう。

 

ただ、会社の場合は定年を迎えてしまえばほぼ誰からも必要とされなくなってしまう。

 

会社の肩書を失えば、仲良くしていた取引先も何もなかったように去っていくだろう。

 

 

だが、家族は違う。家族は肩書で付き合っているわけではない。生まれてきた時からの愛情でつながっている。

 

もちろん反抗期や親離れもある。

 

だが、家族というきずなが無くなるわけではない。

 

 

単身赴任をしてこんなことを考えるようになってしまった。

 

 

このブログでは単身赴任を通じて感じたこと、考えたこと、また、単身赴任をしながらも見つけた喜びや楽しみ、楽しみ方なども紹介していきたいと思う。