家族の単身赴任の有効活用
現在、父が東京へ単身赴任しています。
こちらへ戻ってくるのは、大体1ヶ月に1度といったところ。
このように、至って普通の単身赴任の環境だとは思いますが、我が家では、単身赴任はある意味で「活用」するものとなっていたりします。
どういうことかと申しますと…
東京へ遊びに行った時の、宿泊先としてです。
現在、父が住んでいるアパートは決して広いとは言えないのですが、1、2人なら何とか寝ることができるくらいの広さです。
しかも、周辺環境が良く、山手線の駅が徒歩圏内とアクセスも良好なので、観光や、東京からさらに出かける日帰り小旅行などで移動する場合にもとても便利なのです。
何よりも、宿泊費が節約できるというのが一番のメリット。
…というわけで、ありがたく利用させてもらっているわけです。
「迷惑かもしれないなあ」と、若干の申し訳無さもあるものの、仕事が休みの日には父も一緒に出かけたりと、父もこの状況は満更ではないようです。
単身赴任は物理的な距離だけでなく、どうしてもある程度の精神的な距離も生まれてしまうところがありますよね。
しかし、考え方を変えると、単身赴任はむしろ「便利」なものともなり得ると思います。
家族の単身赴任先によってもどのように「活用」するかは異なってくるとは思いますが、皆さんも、離れて暮らす家族の住居を「第2の家」と考えてみてはいかがでしょうか。
単身赴任のおかげで理解できた父親の気持ち
これまで無口であまり家族に干渉してこなかった父親が急遽単身赴任することになりました。
当時自分は高校生であり、転校するのが難しいことを考慮しての単身赴任でした。
父親が家を去る前日はそれといって変わった様子はなかったのですが、家を去る当日は家族一人ひとりに声をかけ、元気でいるよう告げてから出発しました。このときは非常に寂しかったです。
そして父親は赴任先からよく手紙を送ってくれました。
赴任先での様子を綴った手紙で、内容は日常生活に関するものがほとんどでした。
今日は寮で夕食を自分で作ってみたとか、お昼に入った定食屋の料理が安くて美味しかったといった内容が多かったです。
特別な話題が手紙のメインとなることはありませんでしたが、家族のために手紙を書いてくれる父親の気持ちが嬉しかったです。
また父親の赴任先に家族で遊びに行ったことがあります。このとき、父親の意外な特技を発見しました。それはガイドが非常に上手だということです。
観光ポイントや穴場スポットを無駄なく巡り、比較的安い費用で観光を楽しむことができたのです。
観光情報は会社の同僚から入手したようです。とにかく父親が単身赴任となり、無口ではあるものの家族のことをしっかりと考えてくれていることがわかりました。
お湯も沸かすことにできないお父さんの単身赴任
私の父は50代で一度だけ単身赴任を経験しました。
もともとは仕事一筋、特に趣味も持たない父でした。
家事や育児にはあまり関与せず、きっとお湯も沸かしたことがないような父でした。
そのために単身赴任が決まった時には家族全員が本当に大丈夫なのかと疑問を持ったほどです。
父は何とかなると言いますが、やはり心配したのは私の母でした。
単身赴任が始まってから、私の母は2週間に一度父のもとを訪問していました。
距離もあったり、電車やバスの移動で片道5時間程度かかったために、母は泊りがけでいっていました。
そしてその2日間でなるべく料理を作るのです。
父は電子レンジは使うことが出来たので、それを温めて食べていたのでしょう。
母が大量に作っても、2週間後に行ったときには空っぽになっていると嬉しそうに話してくれました。
その間食べ物がなくなるとカップラーメンやコンビニの弁当を食べていたようです。
そのために単身赴任がおわった時には体重が少し増えていたような印象をいけました。
父がいない間、残された家族は一致団結して生活をしていたような気がします。
今思うと貴重な経験ができたかなと思っています。でも家族はやっぱり一緒に生活するのがいいですね。
お湯も沸かすことにできないお父さんの単身赴任
私の父は50代で一度だけ単身赴任を経験しました。
もともとは仕事一筋、特に趣味も持たない父でした。
家事や育児にはあまり関与せず、きっとお湯も沸かしたことがないような父でした。
そのために単身赴任が決まった時には家族全員が本当に大丈夫なのかと疑問を持ったほどです。
父は何とかなると言いますが、やはり心配したのは私の母でした。
単身赴任が始まってから、私の母は2週間に一度父のもとを訪問していました。
距離もあったり、電車やバスの移動で片道5時間程度かかったために、母は泊りがけでいっていました。
そしてその2日間でなるべく料理を作るのです。
父は電子レンジは使うことが出来たので、それを温めて食べていたのでしょう。
母が大量に作っても、2週間後に行ったときには空っぽになっていると嬉しそうに話してくれました。
その間食べ物がなくなるとカップラーメンやコンビニの弁当を食べていたようです。
そのために単身赴任がおわった時には体重が少し増えていたような印象をいけました。
父がいない間、残された家族は一致団結して生活をしていたような気がします。
今思うと貴重な経験ができたかなと思っています。でも家族はやっぱり一緒に生活するのがいいですね。
単身赴任は家族と小まめに連絡を取る事が大事
企業によって、単身赴任をしなければいけない状況というのはあります。
そこで、結婚していて家族がいる状態で単身赴任しなければいけない時には、小まめに家族と連絡していく事が大事になってきます。
その理由ですけど、どうしても単身赴任になってきますと、家族と毎日会う事がなくなってしまって、コミュニケーション不足になってきます。
あまり連絡を取らなければさらにコミュニケーション不足になってしまって、家族との連携がとれない可能性もありますし、子供がいる場合は、子供とも良い関係が保てない可能性もあります。
そうなると、せっかく家族がいるのにさみしい気持ちになってきますし、多少なりとも問題がおきます。
それを防ぐためにも、小まめに連絡をして、コミュニケーションをとる事は必要になってきます。
数日に1回ぐらいは電話をして、家族全員となるべく話をするようにします。また、休みの日は、家族の元に帰るというのも効果的になってきます。
特に連休がとれた時などはできるだけ家族の元に帰って、直接コミュニケーションをとるようにします。
このように、コミュニケーションを大事にしながら単身赴任をしていくと、家族間の関係を良くしたまま仕事に専念できます。
単身赴任は家族と小まめに連絡を取る事が大事
企業によって、単身赴任をしなければいけない状況というのはあります。
そこで、結婚していて家族がいる状態で単身赴任しなければいけない時には、小まめに家族と連絡していく事が大事になってきます。
その理由ですけど、どうしても単身赴任になってきますと、家族と毎日会う事がなくなってしまって、コミュニケーション不足になってきます。
あまり連絡を取らなければさらにコミュニケーション不足になってしまって、家族との連携がとれない可能性もありますし、子供がいる場合は、子供とも良い関係が保てない可能性もあります。
そうなると、せっかく家族がいるのにさみしい気持ちになってきますし、多少なりとも問題がおきます。
それを防ぐためにも、小まめに連絡をして、コミュニケーションをとる事は必要になってきます。
数日に1回ぐらいは電話をして、家族全員となるべく話をするようにします。また、休みの日は、家族の元に帰るというのも効果的になってきます。
特に連休がとれた時などはできるだけ家族の元に帰って、直接コミュニケーションをとるようにします。
このように、コミュニケーションを大事にしながら単身赴任をしていくと、家族間の関係を良くしたまま仕事に専念できます。
私の単身赴任生活
今から15年程前の事です。
それまで関西地区のある営業所に務めていました。
周りでは結構、毎年春には転勤で来る人もいれば出ていく人もいました。
幸いな事でしょうか、私は転勤には全く縁がなく声が掛かることもありませんでした。
転勤してきた人の話を聞くたび転勤も「いいもんや」と思うようになり多少憧れていました。
そうこうして、私が47歳の頃、東京で開かれた会議に参加した時の事です。
メインの議題が終わりざっくばらんな雰囲気の場なった時、本社の重役さんから関西より一人転勤したい者はいないのかとの発言がありました。
こちらから声をかけた訳ではないですが、自然と目と目が合い私に白羽の矢がささりました。
家族と相談したいと、その場は一旦保留にしました。出張から自宅に帰りその事を家内に話しました。
あっさりと決まったのですが、転勤する条件として子供が学生(中学と高校)で転校は難しく単身赴任でと決まりました。
重役との話で、すぐ来てくれと決まり取敢えず身一つで渋谷のホテルへ入りました。
慣れない業務をやりながら時間を見てはネットで住居探しです。
単身の赴任手当に見合う家賃の所を探すのですが都内23区では、なかなか見つかりませんでした。
範囲を千葉、横浜、埼玉と広げようやく東武東上線の朝霞(埼玉県)にしました。駅からは徒歩10分程度で1DK家賃5万5千円でした。
この転勤を始めに53歳までの間に関東地区内を毎年のように転居/転勤の生活となりました。
朝霞→小田原→大塚→朝霞→上石神井 最後は単身赴任の乱れた食生活で体を悪くし関西に戻してもらいました。